es[エス]

を見ました。
面白かった。
マシニストよりは好きだった。
飽きないで見れた。
あんなになっちゃうんだねえ、人間って。
ああいう状況に置かれたら誰でもなりそう。
しかもあれって実話を基にしてるんだっけ?
確かそうだよね。
ヒトラーとかナチスとか、あいつ等が特別なんじゃなくて、人間誰しもヒトラーになりうるって気がしてきたよ。


殺人だってきっとそう。
だってさ、何故人を殺しちゃいけないのかって、やっぱり最終的には「法律で決まっているから」って答えるしかなくて、障害がなくなれば誰だって殺しちゃうと思うんだよね。
もちろん命は大切だよ。
でも、家族が殺されれば悲しい、知人が殺されたら悔しいから、ってのは「人を殺してはいけない理由」じゃあないんですよね。
だって、死ぬことによって多くの人が恩恵を受けるような人間がいたって、だからと言ってその人間を殺してもいい、ってわけじゃないでしょ?
法律は万人に平等で。
殺されれば悲しい、悔しい、それらの感情は、「人を殺してはいけないという法律ができた理由」でさ。
その法律が悪法であればいずれ変えられていくわけで。
仇討ちの制度も無くなったし、死刑だって認められている国は減っているわけでしょ。


んで、その法律から逃れられる状況に置かれれば、どう?
例えば、すごく憎んでいる人間がいて、殺したい殺したいって気持ちがすごく強くなってて爆発寸前で。
それで、そいつを殺すのに十分かつ容易な状況に置かれて、しかもその殺人が露見する心配が無い状況で、その上そいつを殺しても誰も悲しまない、世間にはなんの影響も無い、って状況に置かれれば。
どうする?


俺はそいつを殺さない自信は無い。


これってつまり、人を殺してはいけないという法律が無くなった状態とほとんど一緒でしょ?
どうですか?
自信持って「どんな状況に置かれても絶対に殺さない」って言える人、いる?
いないと思うよ。
殺人犯って、ふと、そんな状況が一瞬だけ再現されちゃったんだろうね、きっと。
ここまで極限状況じゃないかもしれないけど、僕らが普段殺人を踏みとどまるための垣根が、ちょっとだけ下がっちゃって乗り越えられる状況に置かれちゃったんだと思う。


京極先生の(作品の)受け売りだけどね。
僕らはいつでも犯罪者と地続きなわけですよ。
彼らが異常だから、僕らとは違う人間だから、と言って向こう側に切り捨てようとするのは、単にそうすることで僕らが安心したいだけでさ。
本当のところは僕らだっていつでも向こう側に回る可能性があるわけ。
まあ、そういったことを改めて考えさせられましたな。


「ルー=ガルー」の中や「魍魎の匣」の中でそういったことが語られてますので、興味のあることは是非一読を。
あ、言っておくけど殺人は犯罪ですからね。
人を殺してもいいって言ってるわけじゃないからね。